November 02, 2003

メガネに

メガネに憧れていた。

のだが、視力がやたらめったら良いので全く縁が無かった。

子供の頃は本当に本が好きだったので、押し入れに卓上スタンドライトを持ち込んではただひたすらに小説を読み続けていたのだが一向に視力は悪くならない。
それどころか未だに両目とも2.0。

もちろん伊達メガネという方法もあるのだけれど、そういうのとはちょっと違うのだ。
話変わるけど、キャイーンの天野ひろゆきは伊達。

そのように文系男子を目指していた筈なのに、何故か空手やラグビーを始めてしまった。
ステレオタイプ嫌いだったので、多面性を売りにしたかったのか。
今考えれば、いかにもステレオタイプ嫌いな人間が起こしそうなステレオタイプな行動だ。
メタメタがメタに絡み捕られる。
メタが下位概念に絡み捕られる。
ありがち。

ところで、スポーツでは視力の良さが大変役に立つ。
人生はままならないという象徴か。

空手の稽古は普通に厳しかったのだが、きついだけならまだしも、理不尽な物が多かった。

例えば、ブリッジの体勢を作り、その腹部に竹刀を何度も振り下ろす腹打ちという鍛錬があったのだが、これは痛みに慣れる為と、打撃がくわえられる瞬間に腹筋を締める事により衝撃を緩和するトレーニングという目的があり、腹筋を鍛えるためにボールを腹部に落とすエクササイズやアブフレックスと同じ原理なので理解できるのだけれど、灯台へと至る細い通路の上で組手をさせられ海に落とし合いをさせられた時にはさすがに首を傾げた。
こうなってくるともう本当にわけがわからない。
もちろん足がつくような水位ではないので梯子まで泳いで辿り着くしかないのだが、胴衣が海水を吸って上手く泳げない。
てか、先輩溺れてた。

びしょ濡れになりながらもまだまだ組手は続く。
そんな世の中の理不尽さを身をもって学ばされながら、メガネ男子から随分遠くに来てしまったなあと思った。